昨日、6月24日、無事に一般質問を終えました。
今さっき、今朝の読売新聞京葉版に、「知事、自分の言葉で語って」という見出しで、私の一般質問の記事が掲載されているのを発見し、驚いたところです。
今回の一般質問では、通告した内容(→詳細「6月議会開会。そして通告」)以外に、どうしても森田知事に「聞きたい」…いや「問いたい」ことがありました。
それが、この記事で取り上げていただいた、「自分の言葉で語って」です。
知事は、今年1月、選挙前の記者会見で、「俳優も政治家も心のこもっていないしゃべりは単なる音に過ぎない」、「政治家も俳優も人へのアピールだと思う。たどたどしくても技量がなくても心をこめて訴えるのは共通点」などと発言していました。
私自身、政治の世界に飛び込む前は、公衆の面前での「しゃべり」とは、あまり縁がない生活を送っておりました。しかし、銀行の営業としてお客さまに役立つ提案を「心をこめて訴える」点は、政治家にも共通することだと思っておりましたので、こうした想いのある知事の答弁に大いに期待しておりました。
ところが、森田県政初の定例会である6月議会が開幕すると、知事の答弁は、そのほとんどが当局が用意した原稿の棒読み。知事らしい「森田節」が聞けたのは、ほんの数回しかありません。そこで、知事に「もっと、知事の言葉で語っていただきたい」と要望したのです。
残念ながら、私への答弁は、原稿の音読のみで、知事の言葉をお借りすれば「単なる音」に近いものでしたが、その後の渡辺議員への答弁では、森田節が炸裂(直後に陳謝となりましたが…)。私の要望に応えたものとは思えないものの、ご自身の言葉で県政を語るときは、言葉に力が籠っているように感じました。
宮崎の東国原知事にしろ、大阪の橋下知事にしろ、神奈川の松沢知事にしろ、埼玉の上田知事にしろ、新しいタイプの首長は、「自分の言葉で語る」という共通点があります。それは、こうした知事たちに、心をこめて訴えたい想いがあるからなのでしょう。森田知事にも、それがあるはずですから、ぜひ、自分の言葉で熱く県政を語っていただきたいと思います。今後の森田節に期待します。
一般質問の内容は、議会報告「矢崎REPORT」でお知らせいたします。議会終了後の編集となりますので、今しばらくご猶予ください。