重い雲がたちこめた空の下に、ガレキの町が広がっていました。
福島県いわき市久之浜町。福島第一原発から30キロ圏ギリギリの外側に位置する海辺の町に行ったのは、先月の30日のことでした。
「民主党東日本大震災対策本部震災ボランティア室では、7月22日現在で議員・事務所関係者・秘書など、述べ1254人のボランティアを被災地に派遣。次の派遣では、地震・津波・火災・原発事故と4重被害を受けているものの、
原発30キロ圏に近いことから、支援の手が届きにくかったいわき市久之浜町に入ることを決定した」という内容の参加要請を受け、党の仲間たちとチャーターバスで現地入りしました。
私たちの作業は、ガレキの清掃・片付け。現地の市民有志と支援NPOの方たちに振り分けていただき、班に分かれて作業を行いました。
ガレキには、建物の破片や樹木、家財などが入り混じっており、作業の中で、震災前の平和な生活を物語るモノを手にするたび、胸が詰まるような思いでした。
今まさに自分の手で掴みあげた家電や布団、写真立てなどに、この場所でたくさんの人が人生を紡いでいた事実を、突きつけてくるのです。手を休めて腰を伸ばせば、目の前にガレキが連なる町がただただ静かにたたずんでおり、私たちが一日かけて行っている作業のささやかさを思い知らされました。
家や財産だけでなく、愛する人、職業、平穏な暮らし、そしてコミュニティまで奪い去って行った震災。
失われたもののあまりの大きさと、一人の力でできることの小ささに、これからこの町が、そして日本全体が、復興に向けて歩んで行く道のりの長さを思わざるを得ませんでした。
帰路のバスの車窓から、被災地の各所で、片付けられたガレキの山を見ました。
「ここにも」、「あそこにも」と、人の手が加わった痕跡を数えるにつれ、思いに沈みがちだった心に光が差すように思えました。
一人の小さな手は、たくさんの手となって、被災地に復興への足跡を確実に残していました。
この日の数日前、県議会の民主党会派で、気仙沼市を視察しました。気仙沼も壊滅的な被害を受けた被災地ですが、仮設住宅での生活や地元産業の再生の試みがはじまっていました。
震災から途切れることなく、各被災地で復興に向けた歩みは続いています。たとえ一歩一歩は小さくても、明日へ明日へと、決して戻ることなく歩み続けて行くこと。それが「復興」という名の長い道のりを、進んで行く唯一の方法なのだと思います。