県政から国政へ

銀行マン16年・県議会議員4期15年

県政から国政へ

銀行マン16年・県議会議員4期15年

県政から国政へ

銀行マン16年・県議会議員4期15年

県議時代の主要な取り組み

安心安全なまちの基盤を整備し、災害などの脅威から命と暮らしを守り抜くこと。
中小企業・商店の支援を通じ、県民・国民が働く場を守り、格差を是正すること。
毎日笑顔で食卓を囲めるような生活を守ること。
これは、立候補以来変わっていない私の政策テーマです。

4期15年の間に地球規模で、私たちの暮らしを取り巻く環境が大きく変わりました。
特に大きな変化は、台風・豪雨・疫病(新型コロナ)など災害の激甚化です。
東日本大震災では、復旧・復興対策特別委員会に所属し、被災の現場から多くの課題や気づきを県政へ届けました。
2019年の台風及び豪雨被害では、現場になんどとなく足を運び、復旧・復興にむけた県の役割に向き合いました。
新型コロナウイルス感染症の拡大では、千葉県議会の立憲民主・千葉民主の会会派代表として、県民のみなさんの声を集め、知事に提言してきました。

こうした経験の中で感じたことは、政府には、県民・国民の暮らしが見えていない、いや見ようともしていないということです。国は、どこを向いて誰のために政治をしているのかと、問いたくなる場面も多々ありました。

平常時においては、未来に向けてダイナミックに国づくりをする大きな視点が必要ですが、非常時においては、一人ひとりの命と暮らしに向き合う「顔が見える視点」が重要となります。
その眼となるのが、地方行政ですが、国と地方の連携についても、多くの課題があります。

こうした課題を解消し、県民・国民の命と暮らしを守るために、次の一歩を踏み出す決意をしました。
私が見てきたものはもちろんですが、国民・県民の暮らしを見つめる視点そのものを国会へ届け、人に寄りそう政治を実現してまいります。

45号に渡り発行してきた議会報告「矢崎REPORT」です。全号をPDFでご覧いただけます。

矢崎REPORT

地域新聞に連載してきたコラムです。最新号76号までをお読みいただけます。

矢崎コラム

矢崎けんたろうProfile

1967年9月29日生まれ。浦安町立見明川小学校、浦安市立見明川中学校から千葉県立市川東高校、駒澤大学法学部政治学科に進学。中・高・大とテニス部に所属。大学卒業後、富士(現みずほ)銀行入行、法人融資担当として16年の間多くの中小企業に寄りそう。

2007年千葉県議会議員選挙初当選。再選を重ね4期15年の間県政に携わる。
千葉県議会立憲民主・千葉民主の会前会長。立憲民主党千葉県第5区総支部長、浦安市少林寺拳法連盟会長、浦安市バウンドテニス協会会長。

2021年10月衆議院選挙出馬。43,937.235票獲得(次点)


座右の銘:無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)

こども時代

「腕白なガキ大将だった」とか、「神童と呼ばれた」ということが書ければ良いのかもしれませんが…。ごく普通のサラリーマンの家庭のごく普通のこどもだったと思います。

なんの心配もなく無邪気に遊び、風呂にいれてもらい、ご飯を食べさせてもらい、仮面ライダーやウルトラマンなどヒーローもののテレビに熱中し、「宿題はどうした」と世話を焼いてもらい…。振り返れば、なんと幸せなこども時代だったのだろうと、両親には心から感謝しています。

生まれは東京の杉並ですが、10歳のとき、弁天に引越して、見明川小学校に転校。浦安市民になりました。当時はまだ空き地も多く、友だちと缶蹴りをしたり、ハンドベースをやったり…。懐かしくて大切な思い出がたくさんあるからなのでしょうか。弁天をポスティングしているときなどは、次の角を曲がると当時の友だちに会えそうな気持ちになるときがあります。
(写真:卒業式の記念写真。見明川小学校校門にて)

青春時代

見明川小学校から見明川中学校に進学し、テニス部に入りました。両親がテニスをやっていて姉もテニス部でしたので、テニス部に入ると最初から決めていました。見明川中学校では、生徒会の一代目副会長、二代目会長も、やら…やらさ…やらされ…いや、やらせていただきました!(笑)

市川東高校でも駒澤大学でもテニス部に所属。3・3・4の計10年、コートを駆け回りボールを追いかける日々を送りました。選手としては、ずばぬけてうまいわけでもなく、かといってどうしようもなく下手なわけでもなく、やはり「ごく普通」でしたが、「毎日の努力の積み重ねの大切さ」「仲間のありがたさ」「縦社会の礼儀」など、体育会の部活動で得たものは、大きなものがあったと思っています。

生まれは東京の杉並ですが、10歳のとき、弁天に引越して、見明川小学校に転校。浦安市民になりました。当時はまだ空き地も高校2年のとき、スマッシュを目に受けて、順天堂大学病院で緊急手術。しばらくテニスができない時期がありましたが、ちょうど文化祭の時期でクラスの仲間と準備にあけくれたことも良き思い出です。
(写真:高校の修学旅行の記念写真。京都にて)

論文・ゼミについて

駒澤大学では、法学部政治学科でしたが、当時から「政治家になりたい」という強い想いがあったわけではありません。もともと歴史が好きで、日本の時代小説などを読む中で、政治に純粋な興味を持っていたのが、この学部を選んだ動機だったと記憶しています。

在学当時、「撚糸工連事件」や「リクルート事件」、「宇野首相の女性問題」など、すでにさまざまな政治腐敗が表面化しており、なぜ国民主権の民主国家でありながら、政治の不正を正すことができないのか、その答えをさがしていたように思えます。

ゼミは、早川純貴ゼミナールに所属し、政策が、立案・形成・決定・実施・評価される過程を分析・検討する「政策過程論」などを中心に学びました。

ゼミ論文のテーマ
「新自由クラブ解党の原因」(3年)
「西ドイツの対外政策転換における西ドイツ社会民主党の役割」(4年)

銀行マン時代

大学を卒業し、富士銀行(現みずほ銀行)に入社。中小企業のお客さまの担当として、預金や融資・資金繰りのご相談を承っていました。

バブル崩壊直後から、「いざなぎ越え」ともてはやされたものの庶民にはあまり実感のない景気回復までの16年間、千葉支店・千住支店・福島支店・鎌倉支店・草加支店・祖師谷支店・事務推進部と支店をわたりながら、中小企業の社長さんや商店主さんと向き合ってきました。

生業に誇りを持ち、日々努力を続ける経営者。従業員を守るため、必死な経営者。銀行という数字が優先される世界にいながら、社会は「数字」で成り立っているのではないことを知りました。この時期のさまざまな経験が、政治の世界に飛び込む原動力となっていると思っています。

千住支店のときに、窓口担当だった妻と出会い「不撓不屈」(←座右の銘・笑)のアタックで結婚。28歳で家庭を持ちました。
(写真:銀行マン時代。どこかの飲み屋さんの前にて)

はじめての選挙活動

本店・事務推進部の所属となることが決まったころ、 民主党の千葉県総支部が県議候補を募集していることを知りました。大学を卒業してからも、政治への興味はつきることなく胸にあり、その募集記事を見た瞬間から数日間、自分の将来、家族の将来、日本の将来と考え続け、その興味が「意思」に変わりました。

面接や書類審査などを経て、公認が決まったのは、投票日の数ヶ月前。選挙のことはなにも知りませんでしたが、党の先輩やボランティア・友人のみなさんの力を借りて、想いを伝え続けました。選挙カーは使わないと決めていたので、自転車で市内をまわり、早朝から通勤時間帯、帰宅時間帯から終電まで駅に立ちました。

当選が決まった瞬間の喜びは安堵に変わり、支援してくださった方・「矢崎けんたろう」と書いてくださった方への深い感謝となり、最終的に期待に応えなければという「責任感」となって、今も熱く胸にあります。
(写真:選挙活動。街頭演説中。)

スポーツについて

「うまい」、「へた」は別にして、体を動かすことは大好きです。県議会には、親睦を深めるためのサークルもあるのですが、私はサッカー部と野球部に混ぜていただいています。

会派・党派を超えて無心でボールを追っていると、まずは、「県議会議員」としてくくられる「仲間」なのだという気持ちが沸いてくるから不思議です。いや~スポーツってすごいです。

あまり練習に行けないのですが、弁天の草野球チーム「パークシティズ」にも入れていただいています。ポジションは…ベンチの暖め役と声援係なのですが…。テニスも再開したいと思っています。ぜひお誘いください。
(写真:サッカーの練習でグロッキー。)

座右の銘について

「無一物中無尽蔵」(むいちもつちゅうむじんぞう)
宋の時代の詩人・禅者の蘇東坡の言葉です。 何もないところにすべてが隠されている。無欲・無心であることの大切さを私に教えてくれた言葉です。

「不撓不屈」(ふとうふくつ)
これは座右の銘というよりは、行動指針のようなものでしょうか…。何事もあきらめず最後まで粘り強くやりぬくことが大切。